わたしのふるさと 石徹白(いとしろ)
2022年8月のハートギャラリーの展示は、須甲真紀様の写真展、「わたしのふるさと石徹白」です。石徹白の写真20点が飾られています。
【須甲真紀様の挨拶文】
わたしのふるさと 石徹白
12歳から、中学校の合併により家を離れることになりました。
時を経て、ふたたび実家暮らしを始め、改めてこの美しい自然の中で育ててもらった
ことに日々感謝の想いがつのります。
夏の石徹白は 本当に おすすめです♪
須甲真紀
【展示作品の前の須甲真紀様】
石徹白をウィキペディアで調べてみました。
ウィキペディア(Wikipedia)によると
石徹白村(いとしろむら)は、かつて福井県大野郡に存在した村である。九頭竜川の支流である石徹白川上流に存在した。
昭和の大合併の越境合併により、大部分が岐阜県郡上郡白鳥町(現・郡上市)に編入されたが、一部は大野郡和泉村(現・大野市)に編入された。
更に、岐阜県奥美濃
石徹白公式ホームページ“石徹白人”により詳しく紹介されていました。
富士山、立山と並び日本三名山に数えられる白山。石徹白(いとしろ)はその周辺に広がる白山国立公園の南山麓に位置する小さな集落です。
白山国立公園は岐阜・福井・石川・富山の四県にまたがり御前峰(2702メートル)大汝峰(2684メートル)の白山主峰を中心に、別山を初めとする十数の連峰により構成されています。
石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されたところです。
ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。
最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御札を配ることを生業とする人々の住むところでした。
古い土地柄から文化財が多く、中でも「大師堂」にある「虚空像菩薩」は国定重要文化財に指定されています。これは当時奥州を支配していた「藤原 秀衡」の寄贈とされ小さな村ながらも白山信仰の重要な拠点であったことがうかがえます。
また、最近の研究で「源 頼朝」の追尾を受けた「源 義経」が奈良吉野山から奥州平泉への逃避行の途中石徹白に逗留し、雪解けを待ち脱出した可能性があるとも言われ、石徹白に残る伝承にもそれを示唆する記述が見受けられます。
標高700メートルの高地にある集落ですので夏は涼しく、昼夜の温度差により主要農産物であるとうもろこしは糖度がとても高くなります。石徹白産のとうもろこしは大変好評を頂き今や日本中に出荷されています。冬は毎年3メートルを越える雪が積もり、ウィンタースポーツを楽しまれる方々には絶好のロケーションです。郡上市白鳥町にある四つのスキー場のうち三つがこの石徹白に集中しています。
反面、地域の生活者には厳しい雪国生活が強いられます。昭和30年代までは210戸1200人強の人々が住んでいましたが、平成19年度の統計では117戸329人の内145人(44%)が65歳以上の高齢者と、過疎・高齢化が進んでいます。
白山信仰に育まれた石徹白は信仰の礎が無くなった現在、転換期を迎えています。この地に残った私たちは石徹白発展のため、古の文化継承のために日々さまざまな活動に取り組んでいきます。
【展示の様子】
【展示作品】
シンデレラの靴(真冬の朝の水滴の氷)
アラフィフのいちごさん(50年以上石徹白で育ち続けている)
葉っぱの宇宙!地球がいっぱい
花と緑に囲まれた姉の家
水鏡(みとれてしまう青・・・)
白山中居神社(8月の今もなお、まだ紫陽花が咲いています)